February 8, 2009

シェア・インターナショナル 2009年1月号「教育、教育、教育」

http://sharejapan.org/sinews/200/240b/post_222.html

職業のための教育が人生のための教育に取って代わり、他方そのような不均衡のストレスと緊張がますますあらゆる種類の暴力に爆発する。



『職業のための教育が人生のための教育に取って代わり、他方そのような不均衡のストレスと緊張がますますあらゆる種類の暴力に爆発する』


すべての国で、人々は生活の、生存のための苦闘の中でひどいストレスを受けており、それは人々から生気(スピリット)を奪い、萎えて干からびさせます。彼らの人生観は商業主義の限界によって規定されます。大学卒の資格がなければ、今日ほとんどの職場でつまらない仕事以外の可能性がないと考えます。それは破壊的です。そのように感じる人は自分自身の情けなさや痛みしか見ることができず、いつか爆発します。「私は存在するんだ、他の人々と同じように存在するんですよ。私はお金がない。教育がないから、どうやってお金を稼ぐか知らない」。これは本当です。彼らは教育の目的はお金を得るためだと思っています。しかし教育の真の目的は、自分が誰であり、何であるかを、人間であるということは何を意味するのか、人生の目的は何かを理解することです。 人生における最も基本的な概念は、人は分離した存在ではないということです。ほとんどの人間が分離感を持ちます。他と分離していると思うから、人にナイフを突き刺すことができるのです。

(略)

しかし人々は、本当の意味の教育を受けているのではありません。いのちのための教育を受けていません。職を得るための教育を受けているだけです。国によって、職業のための教育がより優れているので、商業主義、市場原理の特性である競争がうまいのです。人は、最大に得るために、一番になるために、市場をより多く獲得するために競争します。しかし、それは本当の人生と何の関係もありません。